突然舞い込んできた、全中から水泳競技など9競技がはずされた縮小されるという話。論理的に考えればそうなるよね、とは思うものの、まさか一気にこんな感じの決着をするとは思わなかった。
あんまり知らない人のために、水泳競技の実情を。水泳選手は、スイミングクラブで練習している。で、学校の水泳部はどんどんつぶれている。すでに。
僕らが中学生の頃は、スイミングに入っていても、学校に水泳部があって両方で練習していた。でも、いつのころからか、学校は部活動が負担になって、なくなっても活動ができる水泳部は真っ先に目をつけられてなくなってしまった。だから、スイミングで練習をする。だけれど、全中というのは学校のくくりの大会だから、水泳部がなくても学校名で出なければいけない。だから、その予選から、水泳部のない学校の先生がかりだされて引率をし、大会の役員をしていく。こんないびつな形になった。
で、去年から地域クラブに移行するということで、スイミングクラブ名で、スイミングクラブ所属のまま、学校名で大会に出ることができるようになった。ということは、学校の先生が引率しなくていいじゃん…ということなんだけれど、多くのスイミングは今まで引率してもらっていたものを、自分たちが引率して自分たちが役員をやるのは大変だから、初年度ということもあって、様子見というか、ほとんど今まで通り学校の先生が引率するしかなかった。
今年がその二年目。少しはスイミングから出る選手も出始めたな、と思った矢先のこのニュース。
なんで、こんな手になるかというと、水泳にはジュニアオリンピックという大事な全国大会がある。スイミングは、これを目指して練習する。小学生、中学生、高校生が年齢区分で戦っている。で、横に、全中とインターハイがある。連盟としても大きな全国大会が中高ともに連続することになっているのは、改善の余地があると考えていたはずで、実際、八月の半ばに同じ日程で全中とインターハイ、終わったらすぐ、ジュニアオリンピックという流れ。
だから論理的に考えれば、「いらなくね?」ということなんだけれど、まさか全中なくすなんて思わなかったからびっくりした。だって、他競技もあるし。そうだよね。水泳だけやめればいいんだもんね、と冷静に考えればわかるお話。
で、そりゃ地域移行の中で当然の話なんだけど、巷のネットの書き込みみているとよくわかっていないことがいくつか書き込まれているので、そのあたりをいくつか補足しとく。
- 全国大会がなくなった先生が楽になるという話。これは、あくまでも関係のない善意の先生のお話。これは大事で楽をしてもらわなければいけない。でも、これでもっときつくなるのが水泳に関わってしまっている学校の先生。巷では「連盟」とか「クラブチーム」とか言われているけれど、どこの都道府県の水泳連盟も実態はボランティア。これ、日本水泳連盟もまったく同じ。自分もそういう仕事をやっているけれど、お金なんてまったく出ない。会議の時にお金がちょっと出るけれど、交通費と比べたら赤字になってしまうような額だし、大会の手当も一日で2000円とかそういうレベル。だから、実は県の連盟なんて、結局はタダで働いてくれるボランティアでもっている。じゃあ、それは誰だっていうと、結局は水泳に関心のある「教員」ということになって、実際、大会には多くの教員がかりだされる。学校の大会と連盟の大会の大きな違いは、かりだされるのが、関係のない先生でなく、関係のある先生だっていうことぐらい。ついでに書いておくと、水泳連盟でお金がちゃんと出るのは事務局の人ぐらいで、偉い人も含めてお金なんか出ない。だからかどうかわからないけれど、いたるところでお金にまつわるよくない話は結構耳にする。戻ると、スイミングクラブの大会がある限り、水泳に関係する先生は楽になることはなかったりする。結局、世の中はただで働かせられる人で持っている。
- つまり、この問題は、大会であったり、そういうものがいかにお金をかけずに作られているかということによる。いいプールを借りるだけでも結構お金がかかって、働く人に正規のお金を払うと、とんでもない参加費が必要になる。じゃあ、それを受益者負担でやれるかというと、残念ながらそれはみんながいやだと言い出すだろうと予測が立つ。
- となると、設備ぐらい、つまり、プールぐらいただで使いたいよね…という話になるけれど、それは公的なものであるなら、箱物の赤字でたたかれる。だから、現代において、プールを作ろうとか修理しようとかいう話にはならないし、やっと作ったとしても、そこには市民や県民や国民がいて、「なんで大会なんてやるんだ!税金払っているおれらが使えないじゃないか!」なんていう声が結構な確率で届く。だから少しでも安くやらなくちゃいけないから、ボランティアに頼るしかない。
というわけで、この国のスポーツの未来は暗い。まあ、それはそれでしょうがない。考えてみれば、僕らが子どものころに空き地で野球やサッカーをやったような環境はすでになく、お金をはらってスポーツをする時代がやってきた。つまり、お金のない人はスポーツなんてやる環境にないのだ。だからこそ、教員がボランティアとして…という堂々巡りを続けていく。
というわけで、全中から競泳がなくなるのは、普通の学校の先生にとっては大きな一歩だけれど、水泳に関わる先生には関係なく、ボランティアしつづけなければいけない環境は変わらず、水泳を続けるためには必ずスイミングクラブに入って、お金を払い続ける流れの中に進むしかない。
まあ、そういう時代なんだろうなという話。