「うな丼」の話

大臣が、首相が襲われるという大事件を前にして、うな丼を食べたとかうな丼がおいしかったとか発言して、みんなから責められている。

まあ、なんとなく不謹慎だよな…という感じはするものの、一体何がどう問題で、どんな風な責任があるのかっていうことを整理しておこうと思う。

ブログに書くわけだけれど、自分の頭の整理。感じ方は人それぞれで、自分が整理したものが、人にも適用されるかわからないけれど。

事の顛末は、首相が応援演説をして爆発物を投げつけられたという一報を、大臣が回っていた先の、名物の鰻屋で、うな丼が提供された時に聞いた、というもの。まあ、ここでやめればよかったんだろうけれど、そのあと「うなぎはしっかり食べました」なんて続けてしまったから、いろいろ批判を浴びている。この発言は自民党議員のパーティでされたものらしい。

この人が公安委員長だから、その役職もあって責められている。

で、何がどう問題なのかということ。

たとえば、うな丼を食べたことが問題なのか。

あるいは食べたものが問題で、うな丼でなければよかったのか。

いや、そうではなくて、発言が問題なのか。

発言が問題だとすれば、何がいけないのか。

そんな感じなんだろうと思う。

まず、食事自体が問題であるとするならば、それが緊急でかつ食事をしなければ、命が救えたというような場合の話をしているんだろうと思う。

記憶に新しいところでいえば、韓国のハロウィンのあの事故の時に、所管する警察署長が報告を受けながら食事をしていた…ということで捕まっている。つまり、食事している場合でない、ということだろう。

常識的に考えたって、たとえば、目の前で交通事故が起こって人が助けを呼んでいる時に、熱々の食事が来たからといって、食べ終わってから救助に向かうわけにはいかない。

となると、このあたりは、緊急性と役職などによるのだろう。だから、もし、食べている場合じゃないというのは、一刻も早く任務に戻る場合の話で、「仕事を続けてください」と言われたなら、食事自体がいけないなんてことは起こりえない。それこそ、新幹線や飛行機で移動中に食べておかないと仕事にならない。

そんなことを考えてみると、要は、この人がその瞬間に対応するべきことがあったかどうかが問題であって、もしないとするなら、このこと自体は問題ではないということだろう。

では、食べたものが「うなぎ」だから問題だというのはどうだろうか。ここは非常に難しいところで、カレーならセーフでうなぎはアウトとか言い出すと、逆にカレー差別発言になってしまうような気がするし、たとえば「おにぎりだろう、緊急時は」みたいな人がいたとして、そこに高級うなぎが乗っていてもその人は許すのだろうか。

もちろん、緊急時にわざわざ、高級割烹に移動する…なんていうのはセンスがないとして、たまたま目の前に、高級な料理があって、自分がその瞬間にすぐ対応する仕事でないとするなら、それを食べずに店を出る必要があるのか…なんていうのは貧乏人の自分は考え込んでしまう。

自分が政治家だとして、「これは食べずに出た方が、アピールできて得だな」なんて考える可能性はあるにせよ、政治家でない自分が「高級料理を頼み、それが目の前に並べられた時に、知り合いの訃報を聞く」なんていう時に、食べないでいるだろうかと考えればきっと食べるような気がするという話だ。

考えてみればわかるけれど、緊急時だからといって、質素なものを食えというのはおかしい。もちろん、大規模災害のように、食料自体が行き渡らない時に、一人で食ってるなんていうのは別の問題になるが、そうでもない時に何を食おうが、問題にすべきではない。

つまり、ここもたぶん、問題なくて、政治家を養成する先生みたいな人がいて、「これはセンスがないですよ。こういう時は、食べずに帰って、それをさりげなくアピールした方が見栄えがいいですよ」みたいな話として責めているならわかるけれど、実は問題がない。

ということはこの問題は全て、発言したことにある。

わざわざ言わなきゃいいのに、ということだ。

たぶん、受けたかったんだろう。身内のパーティだし。

でも、これだって、この何倍も、自分がその緊急時に何をしたか、どんなことを考えたか、大問題ってとらえているかを述べていて、ちょっと和ますために発言したくらいなら、目くじらを立てるようなことではない。

けれど、たぶんそういう文脈とか、誤解される危険性を考えていないから、こういう冗談として発言されてしまうのだと思う。

そういう意味において、事の重大さがわかっていない、自分の立場がわかっていない、という指摘はきっと正しいのだと思う。

でも、それはうな丼を食べたからではない。だって緊急じゃなかったんだろうから。首相が襲われたことが「緊急」でないなんて言ってない。彼にとって、急ぎやることがなく、行動することがなく、やるべきことがなかった。彼にとって、やるべき仕事は「報告を受け把握すること」だったのだ。いや、もっというなら、たぶん、彼にとっての仕事はだからこそ、出張先で訪れた場所で、地元の名物を食べることだったのだ。だからこそ、仕事を全うしたといえる。

だから、うな丼は食べてよいのだ。やるべきことをやったのだから。

悲しいのは、やるべきことがそれだけであったということ。

きっと世の中はこうやってできている。一番上に立つ人はお飾りであり、やることはない。きっともっと実務的な人がしっかり仕事をしていてくれている。指示を出す人は他にいて、その人が仕事をしている。この人の仕事は「その指示を出しているという立場にいる、指示を出さずに報告を受ける人」ということなのだと思う。

だから、更迭なんてする必要はない。任務は全うされたのだから。そしてこの役職は誰がやったところで影響は出ないことがわかったのだから。

そして、発言の問題は、それを自分で発表してしまったということ。

なんで発表しちゃったかといえば、悲しいかな、おそらく自分がそういう責任のある仕事であるということも自覚していたこと。自覚がなかったのではない。自覚していたのだ。

きっと、地元で名物を食べることが優先すべき仕事であり、全うすべき仕事であり、でも、自分には緊急時にやるべき仕事、つまり、「大事な報告を受ける職責」があったということを、ついつい報告したくなってしまった。

まあ、そんなところが実際の心理だと思う。

ぼくらからすれば、なんでわざわざそんなこと…と思うけれど、大事な仕事がありながら、緊急の大きな事件の報告を受ける自分が誇らしいとすれば、こんな発言になるだろうと思う。

お飾りなんだってみんなわかってるかもしれないけれど、そういうことを自分から言ってしまったら、本当は困る人がたくさんいる。本来リーダーであることに変わらないから、いくら実質の指示を出していなくても、責任はとらなくちゃいけないし、となると把握はしたいはず。

たぶん、だから「リーダーです」ぐらいの雰囲気は醸し出しておきたいわけで、ここを責めておかないと、自分までそう思われてしまう。

だから、困ってしまう。

こういうリーダーはどんと構えて責任をとればいいわけで、あんまり事細かに指示出すような介入型は現場を混乱させる。社長ぐらいだったら、自分がどんどん行動してもいいけれど、一国となると、本来なかなかそうもいかない。

でも、ちゃんとそれを弁えていれば、あんな発言をわざわざして笑いをとる必要はない。いや、笑いをとるにしても、もっと何倍も事の重大さ、深刻さと、自分の仕事と責任を語った上での話だ。それもしないから、残念なことに笑いもおきなかった。

笑いっていうのは、みんなの常識を踏まえて意図的にずらすことだっていう基本。

常識がわからなければ笑いは起きない。

きっといい人なんだよな、とは思う。

だって、こういうこと全部わかって、その上で「うな丼を食べないことで、何かが変わるわけはないけれど、ここは食べないで、足早に去っておいて、このエピソードを後で使おう。うな丼は申し訳ないけれど、数ヶ月後にまた訪れれば、またこのエピソードが掘り起こされ、ここへのアピールもできるだろう」なんて瞬時に考えられる方が詐欺師っぽい。

でも、仕事ができるってこういうことなのかもしれないと思う。