休みと温泉

日々の生活と仕事は毎日追いかけてくる。

生活というのは、家族がいて、家族と一緒に過ごすこと。朝ごはんを作って、学校に送り出し、洗濯をして、保育園に迎えに行き、買い物をして、夕ご飯を作って、習い事に送り届け、彼らの一日を聞いて、本を読んだりして、明日の準備をしたりして寝る。

まあ、こういうのを奥さんと分け合いながら活動する。

幸いなことに、こうした日々のルーティンは自分にとって迷惑なものではなく、大変ではあるけれど、自分がここにいる証明のようなもので、それこそが目的ともなりうるような気がする。

人間てよくできていると思う。

近代の個人主義の時代において、僕らはそれでも「個人」「自己」「自我」、なんでもいいけれどそうやって生きることが普通になってしまったから、多分、家族に自分の時間を分け与えることはよくないことで、場合によっては、他者からみてても、「そんな親迷惑だし」なんて言われるかもしれないけれど、実際に自分がそこに突入すると、そこにこそ存在価値があって、それ自体が目的となりうるような気がしている。

本来、仕事もそうあるべきなのかもしれないけれど、残念ながら仕事の方は他者性が強いというか、他人が介在するからというか、要するに個人の生き方を尊重する常識の中にいるから、そう簡単にやりがいを感じることはできなくなってしまって、ただの収入を得る手段になりさがってしまった。

本当は、仕事を通じて社会や共同体を生きるという考え方も大事なんだろうと思うけれど、現代においてそんな甘い考えを持ってしまうと、他者につけこまれ、批判されるきっかけにさえなりうる。

嫌な時代だと思う。

そうなればなるほど、仕事はただの収入を得る手段であって、そこにもはや充実とかやりがいとかは感じにくい。だからこそ、休みの一日は待ち遠しい。

といっても共働きの我が家では、お互いが休みの時ぐらいは家事を負担することは当たり前だから、自分に与えられた自由時間は3時間ぐらい。

その時間が過ぎると、リフレッシュはできるけれど、家事や雑事がやってくる。

最近はその3時間を近くにできた温泉に当てることが多い。

いわゆるサウナでリフレッシュ。

お風呂とサウナからあがると少し合間に仕事もできてしまうからなおのこと都合がいい。そうやって週に一度くらい、一人の時間を意図的に作るのも悪くない。

不思議なことにずっとそうしていたいわけでなく、週に一度くらいで十分で、後は家族のために迎えにいったり、送りに行ったり、ご飯を食べさせたりするのも悪くない。

というわけで、たまの休日は温泉にいってサウナに入る。

そんな今日このごろ。

で、家に戻ると、毎日同じようなことをしているようで、子どもは成長するからやることはどんどん変わっていく。だから飽きないのかもしれない。