忘却

昨日は節分だった。

 

下の子、弟は保育園で豆まき集会。勇敢に立ち向かったとのこと。

そういえば、去年は行くのに結構抵抗した記憶があった。

 

そんなことを覚えていたのは、昨年のその一日をネタに小説を書いたから。

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で、昨日、病院で待たされている間に、その小説を読み返してみた。

もちろん、その一日をネタにしているだけで何から何まで真実ではないし、書いている自分としては、小説の主人公はイケメン風の若いお父さんの設定で書いているから、どうしてもちょっとかっこよくなっていて、実際はこんなではない。

 

それはさておき。

 

読んでいて驚くのは、まず、コロナのこと。

昨年の今頃は、保育園で誰かが感染すると園が休園していたのだ。そういえば、お姉ちゃんは、そうなる度に、濃厚接触疑いとかで、抗原検査をやらされたっけ。

園が休みになる。

抗原検査キットを取りに行く。

報告をする。

それが何回もあって、お互いに仕事を休んだりしている。

 

それから、姉弟の行動パターンなんかも興味深い。「ごっこ遊び」か「戦い遊び」が遊びの中心だったらしい。

うちはその後、タブレットとスイッチが導入された結果、ひたすらこの二つをとりあって遊ぶようになった。もちろん、そうでない遊びもたくさんあるけれど、自分で書いておきながらたった一年前の話とは思えないくらい、忘れてしまっている。

 

こうやって、人間の記憶は、現在を中心に書き換えられる。

みんな、今の自分を信じていて、少し前の自分、もっと前の自分が何を考えていたかなんて覚えていない。

 

おそろしい話だ。考え方や認識が変わっても、自分はずっと前からそういう考え方をしていた…なんて思い込んだり、そこから過去の出来事を思い返して、今の考え方や認識から評価をしてみたり。

 

きっと、その時は笑顔で笑い合っていたようなことが、しばらく経つと憎しみの対象になる…なんていうこともあるんだろうな。

 

昨日も保育園で豆まき集会があった。動画が配信されていて、保育園に現れた鬼をみんなでやっつけていた。

いいイベントだし、ありがたい限り。

でも、もちろん泣いている子どももいたりする。

 

まあ、まだこういうイベントに否定的な人はいないだろうけれど、何年か経ったらわからないよなと思う。

幼児虐待、とかケチをつけることはいくらでもできる。

まあ、そういう時代が来て、みんながそう思うなら、そういうイベントがなくなるのは仕方がない。

でも、何年か経って、そういうイベントがなくなるのが当たり前になった時、きっと、その当時、非常識なイベントをやっていた人を断罪するようなことが起こるんだろうなと思うとむなしくなる。

 

みんな笑顔でいたイベントだし、みんな喜んでいたのに。

喜んでいたはずの人が、声高に「間違ってる!」と叫ぶんだろうな。

 

人は変わる。

でも、残念なことに変わったことは忘れてしまって、ずっと自分はそうだったと思い込む。

そして、都合良く誰かを悪にして、誰かのせいにして責めていく。

 

結局、責められるかどうかは、「人」であり、責めていい人になってしまうかどうかで決まる。

 

こわい話だけれど、人間はそういう自分を忘れて棚にあげる生き物だし、みんながそうだと誰も気づかないからこわいなと思う。